MLBのヤンキースのコリー・ライドル投手は小型飛行機事故で惜しくも亡くなりました。
コリー・ライドルはMLB(メジャーリーグベースボール)選手。
⇒コリー・ライドルのプロフィールと画像
右投右打、ポジションは投手。背番号は30→21→30番です。
コリー・ライドル(Cory Fulton Lidle)は発明家ロバート・フルトンの子孫にあたります。
1972年3月22日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市で生まれました。
サウス・ヒルズ高校からドラフト外で1990年にミネソタ・ツインズと契約し、1993年にミルウォーキー・ブルワーズに移籍。
1996年にニューヨーク・メッツにトレードされ、1997年5月8日にメジャー初登板を果たします。
1999年、タンパベイ・デビルレイズに移籍。
2001年、オークランド・アスレチックスに移籍。先発投手として定着し13勝を挙げます。
2003年、トロント・ブルージェイズに移籍。
2004年、シンシナティ・レッズに移籍。
同年、交換トレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。
2003年から2005年に掛けて、3年連続2桁勝利を記録。
2006年7月、マイナー4選手との交換トレードでボビー・アブレイユとともにニューヨーク・ヤンキースへ移籍しました。
ジェイソン・ジアンビは高校時代の同級生。
移籍後は10試合に登板しました。
2006年10月11日午後(現地時間)、ニューヨーク市マンハッタン区の50階建て高層マンションに、コリー・ライドル自身の所有する小型飛行機が衝突し、34歳で死去しました。
最初は、アメリカ同時多発テロ事件に光景が似ていたため、テロの疑いがもたれました。市民は、テロ再発かとパニックになりました。現場は騒然となり、さまざまな影響が出ました。
その後、さまざまな調査によって、ニューヨーク・ヤンキースに所属していたコリー・ライドルの小型機とわかったのです。コリー・ライドルと同乗していたインストラクターの計2人の死亡が確認されました。
コリー・ライドル投手が操縦する小型機は、ニュージャージー州空港を離陸し、マンハッタンの自由の女神像を経由し、その後に高層アパートに衝突したようです。
小型機が飛行していたのは15分ほどしかなく、ライドル投手とインストラクターは、ニューヨークを観光していたと見られています。
詳しい事故原因は定かではないのですが、アメリカ連邦航空局(FAA)によると、小型機が高層アパートに衝突する直前、エンジントラブルで救難信号を発していたと述べているそうです。
コリーライドルはまだ34歳という余りにも衝撃的で早すぎる死でした。
ライドルの死を悼み、2007年のヤンキースはユニフォームの左袖に喪章をつけていました。
尚、ニューヨーク・ヤンキースは1979年にも当時の正捕手、サーマン・マンソンを飛行機事故で亡くしています。ライドルは1997年に結婚し息子が1人います。
2007年のニューヨークヤンキースの開幕試合にライドルの妻と子供が始球式を行いました。
ライドル投手はケガなどで苦労も多かったようですが、まだがんばれる選手だっただけに残念ですね。